歴史的に、のぼりがあの形で登場するのは室町時代以降です。
そもそも、日本の旗は「流れ旗」と呼ばれる上だけを止めて風に流すタイプが一般的でした。
それが現代のような形になったのは応仁の乱のあたりだそうです。
やがて、江戸時代に入ると、戦もなくなり、のぼりはその存在意義を変化させることになります。
武家では、端午の節句になると、男の子の健やかな成長を願い、家紋を染め抜いたのぼりを立てるという風習が生まれました。
この風習は、間もなく一般庶民が真似をはじめ、そこでは、家紋などではなく、好きな絵などが描かれるようになりました。
やがて、それは文化として定着し、お金持ちの家などでは、輸入物の布に、画家による絵をつけたものを所有し、それをかざっていました。
ボストン美術館に残る、葛飾北斎の描いたのぼりは、こういう文化の中で生まれた芸術の1つです。
しかし、庶民にはそのような贅沢はできなかったため、自分たちで紙に絵を描き、それぞれの家で華やかなのぼりを制作していたようです。
中でも鯉の滝昇りの図案は人気で、後にそれが、鯉幟となるのです。